ああ、勘違い
2009年 08月 14日
『赤い靴』(1948 監督/マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー)という映画が有ります。4歳の時 大阪の大毎地下の名画座で、人生で初めて見た映画です。
赤いトゥシューズの幻想的な映像と 自殺と言う衝撃的な主人公の人生の選択が
心に突き刺さり、何日も眠れません。心をつかんではなさない、それが恋だとしたらたぶん、これが最初の「恋」です。でもその時は、なんと、「バレエに恋した」と思ったんですよね〜。習い始めて10年、バレエの世界と言う非日常感にとりこになり やがてトウシューズを履けるようになり赤い靴も履きました。
が、ある日、なんかもやもやとしていらいらとして、「風と共に去りぬ」を上映していた映画館で一人、泣きました。好きじゃない・・好きなものが心からひとつなくなることが絶望に感じました。初めての、恋のおわりです。
次の恋は小学生の時見た、「探偵物語」(再放送)です。チャップリンとか「望郷」とかそんな映画を名画座で何本見てもわき上がらなかった「かっこいい!!」という感情を 初めて経験しました。何を勘違いしたか、珈琲を苦いのに我慢して何杯も飲み続け、駅前第一ビルの喫茶店に入ったら、補導されました。世間とか誰かが決めたルールじゃなくて 自分の尺度で生きてる人がかっこいいということを知りました。
次の恋は人間です。高校の文化祭の芝居で高杉晋作の愛人を演じた私は 高杉役の男の子、に恋しました。ある日、その子にインドの女性監督の記事を見せられた私は、なんか何かを言い当てられた気がして赤面しました。ビルの屋上で上映されたインドの女性監督が撮った「踊り子」や「戦艦ポチョムキン」を彼と一緒にあんパンとコーラ片手に見てました。その彼にふられたとき、頭が真っ白になって、泣けて来て、なんでか見に行った映画は「海と毒薬」(監督/熊井啓)。見終わったら、こんな映画あるんなら、まあ、えっかーと思いました。
大学に入って、なんとか8mm映画を撮り始め、50分の作品を完成させた頃、東映京都撮影所に見学に行きました。スタッフがみんなかっこいい!んです。ただ一人、中に怒鳴られ走り回っている男の人がいました。助監督さんです。そしたら、スタッフの一人が私の方にやってきて「あいつな、阪大出てるねん。でもいまや、あんなんやで」と笑いました。その瞬間、「助監督だけはやるまい」と心に決めたのでした。その20年後、同じ東映京都で真っ黒になって 死にそうになって 助監督をやってました。
バイトしてもバイトしても映画作りにお金が足りない状況でふと、卒論のために取材したインドネシアの人のドキュメンタリーを作りたくなり、こりゃ自分では埒あかん、と、NHK大阪に「ドキュメンタリーでこういうのを作りたい」と企画書みたいなものをもっていったら「ちゃんと就職活動して入らないと作れない」と言われました。ということは・・・「入ったら、お金に困らず映像が撮れるんや」と、受験。合格。すぐ「NHKスペシャル」の企画が通り、すぐにディレクターになりました。「サイコーや!!」。
「青春探検」とか「ETV特集」「アジア発見」とか人間をおいかけるドキュメンタリーを撮り続けました。取材している人の表情に 何度も恋しました。人間が醜さもかっこわるさも含めて どこか美しいものだと思えるのは この時期があるからかもしれません。
ところが またもやもやといらいらが募って来ました。
長い間水中にいるみたいだった。
見上げると光があって、それがゆらゆらと揺れている。
遠くからあいまいな言葉が聞こえて来て、なんだか自分を呼んでいるようだ。
ザブンと水面に出る。ぶくぶくと口からもれる。
気がついたら 思いっきりげんこつで 上司をなぐってた。
11年働いたNHKを、辞めました。晴れの日、朝、辞表を書いたのを覚えています。
だって私が恋し続けていたのは、映画だったのです。
これは、辞表の一部です。
『昔 ある人が私に言いました。
「ヴェンダース監督はこう言ってる。〝とにかく伝えたいんだ。僕の物語を。映画が撮れなかったら歌で。歌えなかったら紙切れで〟」と。
「三島にそういう気持ちはあるか」と聞かれて、ある、と答えました。今もその気持ちは変わりません。どんな形であれ、自分の物語を伝えて行こうと言う衝動、これを大事にして行きたいと思います。ありがとうございました』
辞表を提出した私は、そのままマッシュ・ボーンのバレエ公演「白鳥の湖」を見に行き、バレエを久しぶりに美しいと思いました。
6年前から、助監督、脚本(三島ゆきの名で)とかなんでもいろいろやりながら、
一昨年、東映京都でドラマデビューさせてもらって
2009年、Vシネ「刺青〜匂ひ月のごとく〜」(90分/原作・谷崎潤一郎)が公開されました。
オリジナル映画脚本「世界がお前を呼ばないなら」は2009サンダンス映像作家賞のファイナリストに選ばれ、これからはオリジナル作品の映画を作っていくことにshift していきたいと思います。恋する相手にアプローチするのが遅かったわりには 本当に少しずつですが、ちかづいているんじゃないかな?と、思っています。
今後も、ショートフィルムを撮ったり、脚本を書きつづけてじわじわと両想いになれれば、と。
ああ、それにしても、大学時代、映研に置いてあったチラシ。
阪本順治監督の「どついたるねん」のエキストラ募集したものです。あれに参加していたら、もっと早く自分の恋する相手をわかっていたかもしれません。私に後悔があるとしたら、それくらいでしょうか。
こんな私ですが、今後ともご指導いただけますようどうぞよろしくお願いします。
(以上は 映画監督協会の会報2009 8月号の中の「白羽の矢」というコーナーに書かせてもらった文章です)
by yukikomishimafilm
| 2009-08-14 14:18

